中国百科検定攻略事典
1のつく言葉「紅一点」の追加をアップしました。一網打尽
中国の北宋の第4代皇帝仁宗(在位1022年ー1063年)という人は優れた素質を持った皇帝とされ、その治世は「慶暦の治」と呼ばれている。
日本では平安時代で、荘園制度にほころびが出ていた時代で、源頼義が前九年の役で活躍していたころに当たる。
しかしある意味広く意見を求めたために、議論百出し挙句の果ては、廷臣が徒党を組んで、権力闘争を繰り返し、後の権力闘争の原型を残した時代でもある。この言葉はその中から生まれた。
この仁宗のもとに、清廉剛直の誉れの高い杜衍が首相になった。当時帝が大臣たちに相談をせず勝手に恩賞を下すことがよくあったが、杜衍はこれを嫌い、帝の恩賞を握りつぶして専横をしたため、宮廷の内外から恨みを買っていた。ある時杜衍の婿が公金を横領して客をもてなしたことがあった。これを見た杜衍の政敵の一人は、婿を厳しく取り調べ、数人を罪に落とし、「我、一網打尽せり」と手を打って喜んだ。さすがの杜衍もこれがもとで失脚し、わずか70日の短命内閣に終わった。
まるで、どこかの国の話しそのまま絵に描いたという感じだが、やりすぎると思わぬ穴を掘られるものだという戒め?と官僚というもの、怠けず、休まず、働かず適当にやるのがその保身の秘訣として、日本でも受け継がれてきて、いまや官僚のDNAに刷り込まれているのではと思わせるはなしだ。(「中国故事物語」 河出書房新書、1971年 参照)
一条鞭法とは
明の万暦9年、張居正は全国に一条鞭法の推進の命を下した。まず最初に、賦役を合併し、煩雑な制度を簡素化した。各省、府、州、県の田賦と徭役の総量と土貢・地方産物などの項目の徴収を総計し、これを一つにまとめて、統一的に徴収した。ゆえに一条鞭法と呼ばれる。
ここでの改革の要旨は、税法システムの簡素化と賦役と土地税を統一することにより、税負担の均等化を図ったことである。(「经济简史」外文出版社・中国 2010年 参照)
紅一点
宋の神宗(1068-1085)に仕え、宰相にまでなったた王安石は、優れた政治家でもあり、詩人でもあり、文筆家であった。彼が作った「石榴の詩」という詩の中に「萬緑叢中紅一点、動人春色不須多。」(万緑叢中に紅一点あり、人を動かす春色は須らく多かるべからず)という一節がある。意味は一面の緑の中に咲く一つの石榴の花の美しさ、可愛らしさを春色第一とたたえている。この外に、紅一点を詠う詩は2首ほどあるが、王安石の作が最初であろうという説が有力である。
はじめは植物のことであったのが、今ではもっぱら大勢の男性の中にいる一人の女性という意味に使われている。(「中国故事物語」 河出書房新書、1971年 参照)